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ピアノを始めたとき

実在の天才ピアニスト  映画『シャイン』より

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  おはようございます(o*。_。)o 今日はリアルライフを描く精神病のピアニストのストーリーをご紹介します。 今日の九州地方はくもりです。 運動会の天候には丁度よいかもしれません☆彡 今日は映画 『Shine』 です。 ご存知の方もいるかもしれません。 実在する主人公はデイヴィッド・ヘルフゴットは、小さい頃から英才教育を受け、神童と言われる天才的ピアニストでした。 10代で数々のコンクールで入賞し、世界屈指の音楽大学、英国王立音楽大学に特待生として進学し、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」を演奏し、大成功を収めています。 しかし、直後に精神病に陥り、11年もの歳月をピアノに触れることなく陰鬱な人生を神経科病院で過していました。 その後、不安定な精神を抱えながらも、最愛の人の支えもありワインバーのピアニストとして働き、社会復帰への道を歩み始めだしました。 彼の天才的な才能の内には幼少期における父の強烈なスパルタ教育が印象的に残っています。映像ではわかりにくい強迫概念による精神的苦痛も感じました。 しかし、それ以上に彼の音楽性は素晴らしく、また、感性豊かで出逢いがとても大事になってくるのを感じさせる内容です。 主人公の愉快性をも面白いですよ(^^)/ 映画で流れる音楽がとっても美しいです♬ 映画『シャイン』で流れてくるラフマニノフ『ピアノ協奏曲』がこちらです。 いかがでしたでしょうか?  映画を紹介したいあまり“シャイン”を何回も“社員”に誤変換しまくった、おっちょこちょいな私です。(*‘ω‘ *) みなさま本日も良い一日をお過ごしください。 Good morning (o *. _.) O Today I would like to tell you the story of a mentally ill pianist who depicts real life. Today's Kyushu region is cloudy. It may be just right for the weather of the athletic meet ☆ 彡 Today is the movie "Shine". You may know it. The real hero, David Helfgott, was a genius pian

お手伝い DE ペッパーライス(^_-)-☆ ~Helping the eldest son of rebellion~

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good morning! The other day, the acclaimed rebellious middle-aged son (middle 1) was challenged to make supper with his grandmother ☆ 彡 Even though it was a rebellious period, it seems that the interest in cooking has gradually increased in the future. The other day it was rudimentary, but even if I said "Let's make a fried egg" It seems that it has become. In junior high school, I didn't seem to get used to it right after I entered the school, I joined club activities and am now receiving various guidance from my seniors lol I hope it will become stronger, albeit little by little. ..・.・.・.・.・.・.・.・.・ ・.・.・.・.・.・.・.・ ・. By the way, human beings have a "body clock". As you may know, if this "body clock" is found, it may be a "sleep disorder". It affects "weakened immunity". It is the Asahi or "Nikko" that adjusts this. The sun is shining during the day, but the most effective is the first sunlight in the morning. In Nik

師匠の存在    ~剣道八段の精神力~

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  学生時代から社会人にかけて東京で剣道をしていました。 その時の恩師が剣道8段になっておられました。しかも現役で試合でご活躍されています。 全体の剣道人口は約100万人、8段所持者はおよそ600人、 剣道人口の約0.06%です。 「八段」はの合格率は0.8%となることもしばしばあります。(全日本剣道連盟)この合格率は司法試験よりも低いと言われ、日本で最難関の試験に入るのではないでしょうか。 試験内容には学科・日本剣道形・実技があり剣道の修行と並行しつつ、学科や精神の修行も疎かにしてはいけないのです。 体力やスピードがある人でも、(八段でなくても)上の段の先生の前では全く歯が立ちません。感覚でいうと、心を読まれているといえば最適かもしれません。 稽古後は言葉で表せないくらいの清々しさが味わえます。 また、剣道を通してできた仲間の結束力は強いです。 礼儀正しさが無意識に身に付きます。 そのような良き恩師のご縁から、ご指導頂き本当に有難みを感じる今日この頃でした。 I have been practicing kendo in Tokyo since I was a student. The teacher at that time was in the 8th dan of Kendo. Moreover, he is active in the game. The total kendo population is about 1 million, and the number of 8th dan holders is about 600. It is about 0.06% of the Kendo population. The pass rate for "Hachidan" is often 0.8%. (All Japan Kendo Federation) It is said that this passing rate is lower than the bar examination, so I think it will be the most difficult examination in Japan. The content of the exam includes departments, Japanese kend

不登校を経験した私が今だからこそ、伝えられること。

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  私の不登校のはなしです。 不登校といっても 登校拒否 です。 今ならそのように言えます。 不登校のきっかけは第一希望、第二希望の高校に連続で落ちたことによる 自信と目標の喪失だったかもしれません。 最初の方は毎日高校に行ってたのですが、そのうち電車で下車駅を通り越して 中心街まで行ってました。 進学や就職なんかまったく考えてなく、空虚な日常生活を送ってました。 部活や文化祭も行ったかどうか覚えてないくらい。 だけども、今の若者たちにはこんなになってほしくないし、 今はスクールカウンセラー自助グループなどあるので結構救いの手が あると思うんです。そしてその選択肢、救いの手を差し伸べることができるのは 保護者です。      ただ、やはり大切なのは本人がどこでどのように気づくか。 例えば、ピアノがしたくて音大行きたいって思うとき、 3,4歳からしていないといけないんじゃないか、と思ったりしませんか? そして勉強するとき小学校、中学校と成績悪かったから進学にあきらめていませんか? 私の知り合いで、高校生からピアノ初めて、音大に行ったという人珍しいことではありません。むしろストイックに練習し、海外留学したり、新人演奏会など名のある演奏会に選抜され、その後活躍されているケースもあります。 学生寮の同級生で勉強でも、高校まで優等生で関東の某1流私大政治経済学部卒業後、大手地銀に入行が決まり合格した者の入行を決意した理由もあいまいで、新人研修で逃げるように退職した、というケースもあります。 なにが言いたいか。 焦ってみんなと一緒のことさせなくていいんです。 本人のやりたいことができたその時がスタートラインで良いと思います。 経済的なことだけでいうと、年齢や学歴に関係なく取得できる資格は山ほどありますし、 目に見えないものでいうと幸せのかたちは人それぞれだからです。 ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。 続くかどうかで不安もあり報告が少し遅れましたが、このブログ 3日坊主を越えましたので自画自賛させてください(^▽^)/

ピアノを始めたとき…

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Q.ピアノをはじめたとき、 (クイズ形式) A.病院を退院したときです。 私、3歳の頃、心臓病になりました。 当時、私の病気を治せるところは日本に3つ程度。 研究されている病院、医師。 近隣都市になかったため、県をまたいで入院し手術しました。 なので、初めての記憶は病室や病棟であり、看護師や同じような病児の女の子とナースステーションで肺活量を図る医療器具で遊んでました。 気が強い女の子でした。ぼんやりとですが、覚えています。 初めてできた友だち。 楽しい思い出。 二十歳を越えたくらいに病気についてなにげなく母にききました。 当時、病室には4名くらいの同じような心疾患の病児がおり みんな手術をうけるため入院していたようです。 ただ、、、 私のように、退院後も運動して(経過観察は二十歳まで毎年行ってましたが) 普通の日常を送れることは稀だったらしく、 一緒に遊んでいた女の子は、亡くなっておられました。 ショックだった。とにかく明るかった。元気があって、けんかもしてました。 多分、20歳頃聞かされたのだけど、 それでも 自身が再発するのかとか、 ちょっとした不整脈で病気を疑うようになりました。 母は私が、退院後も同じ病児の母親と手紙のやりとりをしていたようです。 その女の子の病名は 心室中隔欠損症〘VSD〙 同じ心臓病には変わりなかったのですが、私は心房中隔欠損症(ASD) 病気で苦しんだ、同じ仲間が大人になる前に、何回も(本人にとっては)※受けたくない手術をうけ、つらい思いだったともいます。今生きていることは当たり前ではなかったことと、その病棟の子達の分まで生きないと、と誓いました。 ※生きるためには必要なことなので否定しているわけではないです。 というわけで、今更ながら自分は病弱でそのためにピアノを習わせて頂いたんだっておとなになってから気が付きました。ありがとう。 だけどね、幼少よりモーツァルト、バッハ、ベートーヴェンいっぱい聞いたけど、 天才にはほど遠くてごめんなさい。 40歳になって、かけがえのない子どもを3人も授かったこと。 産んでくれ、協力して育ててくれている妻。感謝しています。 毎日の日課です。基礎練習。基礎練習。 Q. When I started playing the piano (Quiz format) A. It was when I was